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2024/04/20 19:55 |
コンティキ号探検記
1957年「コンティキ号探検記」は筑摩書房より初版が刊行されました。
この当時青年だった、今のおじ様たちの心をワシヅカミし、ドキドキさせた物語です。

1947年4月、コンティキ号はヘイエルダール他5名を乗せて、ポリネシアを目指して出航しました。

60年も前の話。
その頃の日本は、第二次世界大戦の敗戦によるGHQ占領下の只中。
特高警察などの思想取締りの法律や制度が廃止され、婦人の参政権や労働者の団結権も認められ、
壮大な社会実験の最中でした。

当時、日本国民にとって、突然おとずれた自由という価値や、民主主義の意味をのみこむことは容易ではなかったと思います。

日本ではそんな頃、ヘイエルダールは一つの学説を実証するために古代の筏を建造し、航海にでました。

【ヘイエルダールの学説】
当時の説では、「ポリネシア人の起源は西方(アジア・ユーラシア大陸)である」、というのが主流でした。
彼の学説とは、

「ポリネシア人の起源となったのは、西からではなく、南米である。」

南米の民が海を渡ってポリネシアにたどり着いた、というものでした。

昔、彼(ヘイエルダール)が滞在したポリネシアの島で、老人から酋長・ティキの存在を聞きました。
ティキは「太陽の息子」と呼ばれていた白い肌にアゴ髭の人物で、同じ白色の人種を伴いその島に入植したと聞きました。

その後、インカ帝国前のペルーに、なんと同じ白い肌とアゴ髭を持つ人で「コン・ティキ(太陽ティキ)」
と呼ばれる天皇がいて、ティティカカ湖周辺に文明を築いていましたが、その白い人々は他の部族からの襲撃を受け、コンティキと生き残った数名は逃れて海を渡り西の方へ姿を消した、
という伝説に出会います。
西暦1100年頃の話、だということです。

ポリネシアの島のティキと、ペルーのティキは、同じ名前ではないですか!
ヘイエルダールは、もう疑わずに次の説を打ち立てます。

「ポリネシアの酋長ティキ」 = 「ペルーの天皇コンティキ」

ポリネシアの島のティキと、ペルーのコンティキが同一人物であり、そのティキが白い民を従えてポリネシアに文明を伝達した、と考えたようです。

これに対して、学説の反対論者は言いました。

「南米の民族で太平洋の島々へ渡った者は一人もいない。そこへ行くことができなかったのです。」

「筏がありました」(ヘイエルダール)

「そう、あなたは筏に乗って、ペルーから太平洋諸島へ旅行を試みることができる」

この時のやりとりが、直接の航海のきっかけになったようです。

【乗組員】
船員についてご紹介します。船員は6人、ノルウェー人5人にスウェーデン人1人という構成でした。

■トール・ヘイエルダール(ノルウェー)
今回のプロジェクトの首謀者。
元々は動物学と地質学を専攻していたが、ポリネシアのファッツ・ヒバでの滞在中、南米人がポリネシアに
たどり着いて文化をもたらしたのではないか、との考えに至り、人種学へ転向。
自らの学説を実証するため、航海することを決意する。

■ヘルマン・ワッツィンゲル(ノルウェー)
冷蔵技術の経験を得るためにアメリカに来ていた。
お金がなくNYの海員宿泊所に滞在していたトールと同じ施設で出会い、筏Pの計画を知る。
「くそっ。いっしょに行きたいなぁ。・・・私は熱力学を活用することができます」
計画を知った時点で、まさかまだ一人も乗組員が決まっていないなどと思いもしなかったんでしょう。

「承知しました。一緒に行きましょう」(トール)

この一言で、お互い全く知らない仲ですが一番最初の仲間が誕生しました。
私のヘルマン評は、出航前に大怪我をしても航海への参加を断念することは全く考えておらず、
皆の心配をよそに出航してしまうという、大胆で、ある意味怖いもの知らずのマイペースです。
航海中には、確か冷蔵庫?作っちゃったということがあったと思います。
当時、冷蔵技術ってトレンドだったんでしょうか?

■クヌート・ハウグランド(ノルウェー)
無線技師。トールの戦友。
原子爆弾を手に入れようとするドイツ軍を阻止した落下傘降下に参加し、イギリス軍から勲章
をもらう。

■トルスティン・ロービー(ノルウェー)
無線技師。トールの戦友。
ノルウェーに潜入し、イギリスに送信機から情報を送り、戦艦ティルピッツを撃退するイギリス
を誘導した。

■エリック・ヘッセルベルグ(ノルウェー)
ギターを弾く何度も世界をまわったことのある画家。トールの旧友。
筋骨たくましい、マッチョマン。
航海中も、色んな絵を描いていたようです。

■ベングト・ダニエルソン(スウェーデン)
ある探検隊がアマゾン地方のインディアンの研究を終え、その内の一人がリマに来ている、という記事を
トールが切り抜いて持っていたところ、記事のその人本人がトールの所に現れて言った。

「筏の計画のことを聞いたばかりです」


”それで学説をノックダウンするためにやってきたんだな。”(トール)


「それで筏に乗って一緒に行けないかどうか伺いに上がったのです」


「わたしはその移民学説に興味があるのです」


ということで、その人ベングト・ダニエルソンは6番目のメンバーになりました。
世界は探検するに値する、と知った人は、次々と新しい物を発見しに行くものなのですね。

以上の6人とオウムとで航海に出ます。
クヌートとトルスティン及びエリックについては、トールが電報によって航海への参加を呼びかけました。
6人は、ほとんどがお互いを知らない者どうしでした。それがよけい物語りをドキドキさせます。
私たちのプロジェクトの、参考になったかどうかは分かりませんが・・・(笑)。

【出航までの準備】

トールとヘルマンは、まず筏を建造するためのバルサ材を買いに、エクアドルへやってきました。
ところが!エクアドルで流通しているバルサ材では小さく、筏にする為のバルサ材はジャングルの奥地
しかないということを聞かされる。


「雨季が始まったばかりで、洪水と泥のためジャングルへ行く道は通れない。」


そこでトールは考えた。
アンデス山脈の雪の裸山からジャングルの内部へはいり、奥地の方からバルサの木のところまでたどり
つけるとしたら?
その可能性にかけることにしました。
ですが、また別の問題にぶち当たります。


「泥の中にはまっていると襲撃の危険があり、ジャングルの中へ連れて行く人も車もない」


バルサ材を求めようとする「キベド」では、山賊が出没し、また首狩族も出るというい話を聞くことになる。


首狩族=首を刈る族


「・・・(前略)彼らは頭蓋骨をぶっ潰して取り去り、頭の空の皮に熱い砂を詰める。だから、
 頭全体が猫の頭ぐらいになってしまうんですよ。形や目鼻立ちはそのままでね。
 ・・・・(中略)バイヤーたちは法外な値段で旅行者に売っています」
                                           「コン・ティキ号探検記」より

実際の「縮小首」は頭蓋骨を抜き取り、石をつめるようです。
そう言えばエクアドル・キトの赤道記念館に、縮小首のオモチャが売られていました!
首狩については、ヒバロ族の「ツアンツア(乾し首)」の風習が残っていると紹介されています。
(寿里順平:2005)
部族間の抗争での、戦利品として作られていたようです。

自分達がその「縮小首」なるかもしれないという時、なんとトールとヘルマンは「縮小首」をお土産に
1つずつ購入していたようです。
そんなのお土産に買うなよ~!!

トールには、筏伐採のためのスタッフと輸送手段が必要でした。
どう考えても、山道に不慣れな自分達だけでは「縮小首」になる確立が高くなります。
そこで、アメリカ大使館の陸軍武官に ”ジープとその地方を知っている運転手を貸してください”
と頼みました。

なんと、これがOKされました。この背景には、トールたちのプロジェクトが既に多くの報道により知ら
されていたことと、アメリカ人青年武官の若さと人柄が要因であったと思われます。

バルサのある「ケベドト(Quebedo)」に着いてからも一苦労。
蛇やサソリに襲われそうになりつつも、バルサの木を獲得しなんとか無事に任務を果たせました。
毒アリに噛まれて苦しんでいた、約1名(ヘルマン)を除き・・・。

【筏の建造】

次は建造。
ところが建造する場所が、まだ決まっていなかったようです。
え・・・!そんなことまだ決まってなかった?

トールはペルー・リマの港で場所を物色していて、軍港に目をつけます。
ペルーの海軍武官よりもらった紹介状を持って、海軍大臣にお願いしたところ、
”外務大臣の命令でなければ許可することができない”と断られました。

そこでトールは、必殺 ”奥の手” に出ました!
ペルーの大統領にお願いしてみることに!!チャレンジャーです!
トールは、チリ人の考古学者に、個人的な友人であるペルー大統領への紹介状をもらっていたのです。

大統領官邸でのやり取りは次のとおり。

白い服を着た男が迎え、お掛けくださいと言って彼自身は行ってしまった。そしてもっと綺麗な部屋に
案内された。そこで堂々たる人物が進んでやってきた。
”大統領だ”
と思って直立したが、その人は椅子に座ることを勧めて行ってしまった。
その後また別のドアが開き、金ピカの部屋に案内されて待っているところへ、しっかりした足音が近づき
堂々とした紳士に跳び上がって挨拶をした。
だが、彼はもうじき大統領が現れると告げて出て行った。
10分後に金モールと肩章をつけた男が入ってきて、素早く跳び上がって軽くお辞儀をした。
” ・・・・・! ”
だが、その男はちっぽけな部屋に案内して出て行った。

「白い服を着た小さな男が入ってきた。そして私はどこへ連れて行くのだろうと思って、あきらめて 
 待っていた。しかし彼はどこへも連れていかなかった。ただ愛想よく挨拶して立ったままでいた。」
                                         
                                           「コンティキ号探検記」より
その人が、ペルー大統領のブスタマンテ・リベロでした。

トールは大統領に、軍港内の用地を筏建造に貸してもらうこと、出発の際に海岸から曳航してくれる船等
お願いして、見事、受入れられました。

大統領に逢うにあたり、緊張していたトールは相当困惑したようです。
でも、ちょっとしたロシアの「マトリョーシカ」体験だったのではないでしょうか。
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2007/05/03 00:03 | Comments(7) | TrackBack() | 筏の実験航海

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